日本には、今も「入ってはいけない場所」がある。

もちろん、本当に祟りが起きると証明された場所ではない。

では、なぜ人々は何百年もの間、その境界を守り続けてきたのだろう。

今回は、日本に実在する「禁足地」を見ていこう。

① 入ったら二度と出られない「八幡の藪知らず」

千葉県市川市。
市役所や住宅、交通量の多い国道に囲まれた街中に、不自然なほど小さな竹藪が残されている。

一見すれば、都市開発の中で偶然残された小さな森にしか見えない。

しかし、この場所には一度入ったら二度と出てこられないという奇妙な言い伝えがある。

そのため、人々は長いあいだ藪の中へ入ることを避けてきた。

では、なぜこの小さな森だけが「入ってはいけない場所」になったのだろうか。

実は、その理由については一つではなく、いくつもの伝説が残されている。

平将門の家臣たちが「土」になった

その一つが、平将門にまつわるものだ。

平安時代、関東で大規模な反乱を起こした平将門は、藤原秀郷や平貞盛らによって討たれた。

しかし伝説によれば、将門の死後も彼に仕えていた6人の近習が残されていたという。

彼らは主君を失ったあと、八幡の地へやってきた。

そして、まるで土人形のような姿となり、藪の中へ入っていった。

その後、彼らの身体は雨や風にさらされ、少しずつ崩れていく。

やがて完全に土へ還り、藪の地面そのものになったという。

※画像はイメージです

そのため、

「藪の土を踏めば、将門の家臣たちの祟りを受ける」

「中へ入った者は死に、二度と戻ってこられない」

そんな伝承が生まれたとされている。

藪の中には「死門」が残されている?

将門を討った武将の一人、平貞盛。

ある伝説では、貞盛が将門との戦いの際、この場所に特殊な陣を敷いたとされている。

その名は、「八門遁甲(はちもんとんこう)」。

古代中国由来の考え方で、方角などから吉凶を判断する術の一種だ。

そして戦いが終わったあと、この場所には、八門の中でも不吉とされる、

「死門」だけが残ってしまったという。

そのため貞盛は人々に、この場所へ入ってはいけないと告げた。

禁を破れば災いが起きる、それが八幡の藪知らずが禁足地となった理由だというのである。

もしこの伝説が本当なら、住宅街の中に残された小さな竹藪には、1000年以上前の戦いで使われた死の方角が今も封じ込められていることになる。

水戸黄門が中に入った?

さらに時代は下り、江戸時代。この入ってはいけない藪の噂を聞いた人物がいたとされている。

水戸黄門として知られる、徳川光圀だ。

伝説によれば、光圀は禁足地の話を聞いても恐れず、自ら藪の中へ入っていった。

ところが…藪の奥で、突然一人の老人が現れた。

白髪の老人だったという。

老人は光圀を見ると、「なぜ禁を破って、この場所へ入ってきた」と問い詰めた。

そして光圀が身分の高い人物であることを知ると、今回は許すものの、二度とこの場所へ入ってはならないと警告したという。

藪から戻った光圀は、それ以降、自ら人々に立ち入りを禁じた。

そんな話まで残されている。

もちろん、これも史実として確認された出来事ではなく伝説である。

だが八幡の藪知らずが恐れられていた歴史そのものは古く、江戸時代の地誌や紀行文にも、この場所についての記述が見られる。

本当はもっと現実的な理由だった?

一方で、禁足地になった理由については現実的な説も存在する。

例えば、この土地がかつて別の地域の共同利用地だったため、八幡側の住民が自由に入れなかったという説。

あるいは寺社に関係する神聖な土地だったため、立ち入りが制限されていたという説などだ。

最初は単なる土地のルールだったものが、

入ってはいけないから入ると危険、入れば祟られる…と変化していった可能性もある。

しかし、本当の理由は現在もはっきりしていない。

将門の家臣たちが土になったのか?平貞盛が残した「死門」が存在するのか?

それとももっと現実的な理由だったのか、真相は分からない。

周囲がすっかり都市化された現在でも、その小さな竹藪は大切に今も残されている。

② 島で見たものを話してはいけない「沖ノ島」

福岡県宗像市、九州本土から約60km離れた玄界灘に一つの島が浮かんでいる。

都市伝説好きの間では日本最強の禁足地のように紹介されることもある。

沖ノ島は単なる心霊スポットではない。

ここは現在も信仰が続いている本物の神域だ。

島には宗像大社の沖津宮が鎮座しており、島そのものが御神体ともされてきた。

そして現在、一般人が自由に上陸することはできない。

※宗像大社三宮の一つ。宗像三女神の一柱である田心姫神(たごりひめのかみ)を御祭神として祀っています

なぜ沖ノ島は神聖と呼ばれるのか

沖ノ島の歴史は非常に古い。

およそ4世紀から9世紀にかけて、この島では大規模な祭祀が行われていた。

当時、日本列島と朝鮮半島、中国大陸を結ぶ海上交通は、国家にとって極めて重要だった。

しかし、当然ながら当時の航海は危険だった。

現代のようなGPSも天気予報もない。

海が荒れれば、命を落とす可能性もある。

そこで人々は航海の安全や国家の安泰を神々に祈り、貴重な品々を捧げた。

その重要な祭祀の舞台となったのが、沖ノ島だった。

※画像はイメージです

島から約8万点もの奉献品が発見される

後に沖ノ島で学術調査が行われると、驚くべきものが次々と発見された。

鏡、武器、馬具、装身具、金属製品など発見された奉献品は、およそ8万点にもおよぶ。

しかも、それらはすべて国宝に指定されている。

その規模から沖ノ島は、「海の正倉院」とも呼ばれるようになった。

つまり沖ノ島は、単に昔から怖がられていた島なのではない。

1000年以上前から、国家規模の祭祀が行われていた特別な場所だったのである。

※沖ノ島で発見された国宝の数々(https://www.okinoshima-heritage.jp/kids/ritual.html)

石ころ一つ持ち帰ってはいけない

そして沖ノ島には、長い間守られてきた禁忌が存在する。

代表的なのが、島にあるものを持ち出してはいけないというものだ。

木の枝や草、石…どれだけ小さなものでも、島のものを勝手に持ち帰ってはいけない。

宗像大社では現在も、「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」という禁忌が伝えられている。

なぜなら、この島では自然そのものが神聖なものだからだ。

島で見聞きしたことを話してはいけない

沖ノ島をさらに神秘的な場所にしているのが、「不言様(おいわずさま)」と呼ばれる禁忌だ。

島で見たり聞いたりしたことを、むやみに外で語ってはいけない。

神域で起きた出来事を、俗世へ持ち出さない。

そんな考え方が古くから伝えられてきた。

さらに、島へ入る者は海で禊を行い、身体を清める必要がある。

つまり沖ノ島では、島へ入るという行為そのものが、日常生活から神の領域へ入るための特別な行為なのだ。

ここで重要なのが、沖ノ島は祟りが怖いから立入禁止になった場所と単純に説明できないことだ。

むしろ、神聖すぎるから人間の自由な出入りが許されないという方が近い。

現在も基本的に一般人の上陸は認められておらず、原則として島に渡るのは宗像大社の神職などに限られている。

③ 神の領域「オソロシドコロ」

長崎県・対馬。

山深いこの島には、名前を聞いただけでも少し身構えてしまう場所がある。

オソロシドコロ、漢字では恐ろし所と表現されることもある。

いかにも幽霊や怪物が出てきそうな名前だ。

しかし、オソロシドコロも心霊スポットとして生まれた場所ではない。

その背景にあるのは、対馬で古くから信仰されてきた、天道信仰にある。

対馬に伝わる謎の人物、天道法師

伝承によれば、かつて対馬に天道法師と呼ばれる人物がいた。

伝説では天道法師の母となる女性が太陽の光によって身ごもり、彼を産んだとされている。

つまり天道法師は、太陽と結びついた神秘的な存在として語られてきたのである。

さらに成長した天道法師には、嵐を起こしたり空を飛んだり、都へ赴き天皇の病を治した…

など、さまざまな超人的伝説が残されている。

歴史上の人物と信仰上の存在が長い年月の中で混ざり合い、一種の神のような存在として祀られていったと考えられている。

※画像はイメージです

天道法師が眠る山

やがて天道法師は、龍良山のふもとで、生きたまま永遠の瞑想に入るという究極の修行(入定)を行い、神仏となってその生涯を閉じたと言われている。

そして、その墓とされる場所が作られた。

その場所を「表八丁郭」と言い、、天道法師の母親の墓と伝えられる、「裏八丁郭」も存在する。

この周辺は天道信仰における非常に重要な聖域となった。

そして人々は、これらの場所を畏れを込めて、オソロシドコロと呼ぶようになったという。

※左:表八丁郭 右:裏八丁郭

普通の人間は入ってはいけなかった

かつてオソロシドコロは、誰でも気軽に訪れられる場所ではなかった。

天道信仰に関係する特別な人々などを除き、むやみに足を踏み入れることは避けられていたという。

そして伝承では、もし普通の人間が誤って聖域へ入ってしまった場合、裸足になって許しを乞う必要があったとも伝えられている。

なぜ、そこまでしなければならなかったのだろう。

彼らにとって、この山は単なる森林ではなかったからだ。

人間の世界と神の世界、その境界線が存在する場所だったのである。

龍良山周辺では、森林そのものも大切にされており、むやみに木を伐採することを避けてきた歴史がある。

その結果、現在まで貴重な照葉樹林が残されているのだ。

つまり禁忌は単なる怪談として存在していたわけではない。

神の山だから入らない、神の森だから木を切らない。

そうした信仰が、結果として自然そのものを守ってきたとも考えられる。

「入ってはいけない」には理由がある

3つの禁足地を調べてみると、興味深い違いが見えてくる。

八幡の藪知らずには、「入ったら戻れない」という恐ろしい伝説。

沖ノ島には、「神聖だから人間が自由に入ってはいけない」という信仰。

そしてオソロシドコロには、「人間の世界と神の領域を分ける」という考え方が残されていた。

同じ入ってはいけない場所でも、その理由はまったく違うように思えた。

しかし共通していることが一つある。

人々が何百年にもわたり、ここから先へ行ってはいけないという境界線を守ってきたことだ。

現代では、Googleマップを開けば世界中を見ることができる。

衛星写真を使えば、山奥の森まで覗くことができる。

それでも日本には、人間が入らないことで守られている場所が残っている。

そこに本当に神がいるのか、禁を破れば祟りが起きるのか。

それは分からないが、旅先でしめ縄の向こうに誰も足を踏み入れていない森を見つけたとしても好奇心だけで、その先へ進むのはやめておいた方がいいのかもしれない。

あわせて読みたい👀

①「動かすと祟られる」平将門の呪いとは?首塚で起きたとされる恐ろしい出来事まとめ

②平将門の首塚に登った配信者、その後に地震が発生…「将門の祟り」と騒がれた一件