東京・大手町。

高層ビルが立ち並ぶ日本屈指のオフィス街に、不思議な場所が残されている。

「将門塚」

平安時代の武将・平将門の首を供養する場所として、現在まで大切に守られてきた。

しかし、この場所には昔からある噂がある。

「将門の首塚に手を出してはいけない」

なぜなら、塚を壊したり移動させようとするたびに、

奇妙な事故や死が起きる――

そう語られてきたからだ。

もちろん、それらが本当に平将門の呪いによって起きたという証拠はない。

それでも将門塚では、100年近くにわたって奇妙な逸話が繰り返されてきた。

今回は、平将門をめぐる有名な「祟り」を追ってみよう。

そもそも平将門はなぜ「怨霊」になったのか

平将門は平安時代中期、関東で勢力を拡大した武将である。

やがて朝廷に反旗を翻し、自らを「新皇」と名乗った。

しかし940年。

将門は討伐軍との戦いに敗れ、命を落とす。

そして首は京都へ送られ、さらし首にされたと伝えられている。

だが、ここから伝説が始まる。

※画像はイメージです

①平将門の首が空を飛んだ

後世に生まれた伝説によれば、さらされた将門の首は腐らなかったという。

それどころか目を開き、「身体はどこだ」とでも言うかのように恐ろしい姿を見せた。

そしてある夜。

首は光を放ち、京都から東国へ向かって飛んでいった。

その首が落ちた場所のひとつと伝えられているのが、

現在の東京・大手町にある「将門塚」である。

※画像はイメージです。「飛ぶ首」は史実ではなく、後世に形成された伝説。

首塚が荒れると、災いが起きた

将門の死から数百年。

13~14世紀ごろになると、将門塚は荒廃していたという。

すると周辺で天変地異が起こり、人々を悩ませるようになったと伝えられている。

人々は、「将門の霊が怒っているのではないか」と恐れた。

そこで時宗の僧によって将門の霊が供養され、「蓮阿弥陀仏」という法号が贈られたとされる。

恐ろしい怨霊として語られた存在を、丁重に祀ることで鎮めようとしたのである。

※画像はイメージです

しかし将門の「祟り」が全国的に有名になるのは、それから約600年後のことだった。

関東大震災後、首塚が取り壊された

1923年。

関東大震災によって、大蔵省の庁舎が焼失した。

翌年、仮庁舎を建設するため、敷地内にあった将門塚が取り壊された。

そしてその後、大蔵省関係者の周囲で不幸が続く。

※震災後、麹町区大手町上空から日本橋、江戸橋を撮影したもの

大蔵大臣や工事関係者が相次いで死亡

1926年。

当時の大蔵大臣・早速整爾が死去。

翌1927年には、庁舎建設に関係していた工事部長・矢橋賢吉も亡くなった。

※左:早速整爾右:矢橋賢吉

さらに役人の病気や怪我などが重なったとされ、大蔵省内で、ある噂が広がり始める。

「将門の祟りではないか」

塚を壊し、その上に建物を建て、その直後から不幸が続いた。

偶然だったのかもしれない。

しかし当時の人々にとっては、あまりにも気味の悪い偶然だった。

※画像はイメージです

そして1920年代後半、将門を鎮めるための慰霊・鎮魂が行われ、塚は再び整備されることになった。

1940年、大手町官庁街で火災

それでも祟りは終わらなかった。

1940年、落雷をきっかけとして、大手町の官庁街で大規模な火災が発生した。

大蔵省庁舎は焼失した。

またしても、「将門の祟りではないか」という話が持ち上がった。

もちろん、実際には当日は悪天候であり、火災と平将門に因果関係がある証拠はない。

しかし、塚を壊し人が死ぬ。鎮魂したが今度は火災が起きる。

出来事が重なるほど、「将門に手を出してはいけない」という伝説は強くなっていった。

戦後、GHQが首塚を撤去しようとした

そして第二次世界大戦後。

将門塚に、再び危機が訪れる。

占領下の東京で、周辺を整備する計画が進められた。

その対象には、将門塚も含まれていたとされる。

今度こそ首塚がなくなる、そう思われた。

ところが――

※画像はイメージです

ブルドーザー事故で運転手が死亡

将門塚周辺を整地していた際、ブルドーザーに関係する事故が発生し、運転していた日本人男性が死亡したと伝えられている。

この事故も、「将門の祟りだ」と語られることになった。

結局、将門塚は残された。

※画像はイメージです

ただし、この話も後世になるにつれて脚色された可能性がある。

現在よく語られる「ブルドーザーが横転した」「事故が相次いだ」といった細部については、古い記録と一致しない部分も指摘されている。

それでも、奇妙な偶然が重なりすぎている気もする。

なぜ平将門の首塚だけが残っているのか

現在の将門塚があるのは、東京都千代田区大手町。

周囲には巨大なオフィスビルが立ち並ぶ。

東京は、この100年間で凄まじい勢いで姿を変えてきた。

関東大震災、戦争、戦後復興、再開発…

それでも――将門塚は今も同じ大手町に残されている。

それは単に祟りが怖いから、という話ではない。

将門は現在、神田明神の御祭神として祀られている存在でもあり、将門塚も長年にわたり大切に守られてきた歴史的な場所である。

それでも、「ここだけは動かしてはいけない」というイメージが今なお残っているのは事実だ。

平将門の呪いは本当にあるのか?

ここまで読むと、「本当に呪われているのでは?」と思ってしまう。

しかし冷静に見れば、病死や工事中の事故、落雷、火災。

これらと平将門との因果関係が証明されたことはない

それでも不思議なのは、時代が変わっても人々が将門を恐れ、そして祀り続けていることである。

平将門は、1000年以上の時間をかけて、そのすべてを兼ね備えた存在になった。

もし大手町を歩くことがあれば、高層ビルの谷間に残された小さな場所を探してみてほしい。

そこには今も、平将門が静かに祀られている。

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